タマンアユン寺院

インドネシアのバリ島

バロン
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インドネシア共和国の一つの島、バリ島。インドネシア政権下であってジャワ島などとは、 文化、宗教など一線を画す。国際的観光地としての顔を持ち、独自の生活感がある。この島にも他の島々と同じように、国の政治などの影響がある。 まずインドネシアという国になる前に植民地だったことをわすれてはならない。 オランダの船団が初めてバリ島に来たのは1597年のこと。当時ゲルゲル王朝(古代王朝)の全盛期であった。 オランダ東インドネシア会社は香辛料を中心とした貿易独占に腐心し、 これといった特産品のないバリとの交易にさほど熱意は示さず、バリとのとの通商は中国人通商、アラブ商人や、民間のオランダ人の手に握られ、おもに米、奴隷、アヘンなどが取引されていた。 19世紀に東南アジアを舞台に植民地争奪戦の中で、オランダは次第にバリに手を伸ばし始める。1849年、まずバリ島北岸のブレレン王家と西部のジュンブラナ王家を武力制圧して 支配下に置いた。 続いて1894年にはロンボク島西部のバリ人王朝を滅ぼし、1906年にはバリ島南部のバトゥアン王家とタバナン王家を、そして1908年にはバリ島の名目上の支配者であったクルンクン王家全滅させ、残りの王家ともに講和を結んで、全域がオランダの支配下に入った。 オランダの目的は、アヘン貿易の掌握と、農業や商業に対する税の徴収にあった。この税の徴収や治安維持のためにオランダ植民地政府は、旧来の王家や貴族家の権威を認めて彼らに、その業務を代行させる間接的な統治機構を造りあげた。 一方オランダ植民地政府は奴隷制を廃止し、王族の火葬に際しての妃たちの殉死を禁止し、 病院と学校を造り、用水などを整備し、コーヒーなど換金作物の栽培を奨励した。 バリ島を支配するオランダの行政官や学者の頭にあったのは、ラッフルズ以来の見方である。彼らはバリ人をヒンドゥー教徒ととらえ、したがってその社会はインドのようなカースト社会であると考えた。王族・貴族に属するものとそれ以外の平民をはっきり区別し、 上層のものには道路補修などの強制労働を免除するなどの特権を与えた。 また上位貴族と平民との中間を占めていた下級貴族たちの不満を解消するために、彼らを 村の領主の地位につけた。こうして、それまで実力次第で成り上がることもできたバリの社会階層は、貴族と平民とではっきり分けられ、その間の地位や貧富の差が急激に拡大していくことになる。 土着勢力の権力争いを力で抑えつけた植民地統治は、バリに久方ぶりの安定をもたらした。 やってくる植民地統治官は、統治に必要な伝統的制度や慣習について細かく尋ね、記録し、 出版した。 芸能の面では、バリに魅せられた西洋人芸術家が、新しいインスピレーションを吹き込み、 今日の芸能や音楽、絵画の様式が打ち立てられた。 太平洋戦争最中の1942年2月、日本軍の侵攻によってオランダの植民地支配は崩壊した。東インドを占領した日本は、全域を軍政支配下に置いたが、天然資源の確保のため、軍政に現地住民の協力をとりつける必要があった。 そのため、オランダによって捕らえられ、流刑先にあったスカルノやハッタらの民族主義運動の指導者を解放し、またナフダトゥル・アルマーなどイスラーム系諸団体の宗教指導者らに協力を要請し、彼らの指導力を利用して、物的・人的資源の調達をはかろうとした。 一方の民族主義運動の指導者たちも、軍政当局によってあたえられた地位を活用して民衆に語りかけ、その民族意識を鼓舞した。そうした活動によって、スカルノらは民族の指導者としての地位を確立していった。 また、軍政当局は東インドにおける兵力不足を解消するために、兵捕や郷土防衛義勇軍を設立して、現地住民の子弟たちに軍事教練を施した。その訓練は苛烈を極めたが、これらの軍事教育を受けた青年たちが、次の独立戦争でオランダと戦うインドネシアの軍事組織の将校団を形成していくことになった 1945年8月15日、日本が降伏後、独立派は直ちにジャカルタでインドネシア独立を宣言しスカルノ大統領に選出された。 これは日本軍が敗戦後インドネシアにとどまり、独立の手助けおしたといわれている。 また、日本の敗戦後、インドネシア側の武装勢力に身を投じて独立戦争に参加した日本人も数多い。 彼らが独立戦争に参加した動機はさまざまである。戦前、戦中日本は大東亜共栄圏、東亜新秩序を打ち出しており、欧米からのインドネシア解放、独立の為にインドネシアの独立戦争に参加し、インドネシア人と「共に生き、共に死す」を誓いあった。日本に帰国したら戦犯として裁かれることを恐れたためにインドネシアに残留したり、日本軍政期に各地で結成された郷土防衛義勇軍の教官としてインドネシア人青年の訓練にあたった者の中には、その教え子たちに請われて武装組織に参加した者もいる。 独立戦争で命を落とした元日本兵は、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ、各地の英雄墓地に葬られ、戦後生き残った元日本兵も、インドネシア国籍を与えられたインドネシア人として、これらの墓地に埋葬される予定である。 このようなインドネシア独立戦争に参加した日本兵を描いた映画『ムルデカ17805』が、2001年、日本・インドネシア共同で製作された。インドネシア独立戦争へ参加した2,000人あまりの日本人兵士たちの、実話に基づく物語であり、インドネシア人とともに戦うことを決意するひとりの日本人青年将校の姿を中心に、独立を勝ち取るまでの苦難の道程が描かれた。 タイトルのムルデカは「独立」を意味するインドネシア語であり、日本とインドネシアの両国で上映。この映画の制作にあたってはインドネシア国軍が協力している。 1958年に訪日したスカルノ大統領は、日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。


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